• ホーム
  • 法華宗(陣門流)とは
  • 法華宗の行事
  • 法華宗寺院
  • お問い合わせ

仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より

宝塔偈(ほうとうげ)の意味を教えて下さい。

布教研究所所員・酒田 眞量院裡 石丸司朗


 本年は日蓮大聖人の伊豆ご法難(ほうなん)から七百五十年。宗門あげての大法要が霊跡別院(れいせきべついん)・蓮着寺(れんちゃくじ)で行われました。

 この伊豆ご法難とは、大聖人が幕府に『立正安国論(りつしょうあんこくろん)』を上呈(じょうてい)し諌暁(かんぎょう)(いさめる)したことによって流罪(るざい)となられたこ法難のことであります。  弘長(こうちょう)元年(一二六一)五月十二日、鎌倉由比(ゆいが)ヶ浜(はま)から船に乗せられた大聖人が船べりに立たれて、駆けつけたお弟子や檀越(だんのつ)に対してお読みになられたのが『宝塔偈』であります。波の間(ま)に間に聴こえたことから、独特のリズムが現在まで口伝として伝わっています。

 さて、『宝塔偈』とは法華経(ほけきょう)の『見宝塔品(けんほうとうほん)第十一』の偈文であります。

 此(こ)の経(きょう)は持(たも)つこと難(かた)し。若(も)し暫(しばら)くも持(たも)つ者(もの)は、我即(われすなわ)ち歓喜(かんぎ)す。諸仏(しょぶつ)も亦然(またしか)なり。是(かく)の如(ごと)きの人(ひと)は諸仏(しょぶつ)の歎(ほ)めたもう所(ところ)なり。是則(これすなわ)ち勇猛(ゆうみょう)なり。是則(これすなわ)ち精進(しょうじん)なり。是(これ)を戒(かい)を持(たも)ち頭陀(ずだ)を行(ぎょう)ずるものと名(なつ)く。則(すなわ)ち為(こ)れ疾(と)く無上(むじょう)の仏道(ぶつどう)を得(え)たり。能(よ)く来世(らいせ)に於(お)いて此(こ)の経(きょう)を読(よ)み持(たも)たんは、是(こ)れ真(しん)の仏子(ぶっし)。淳善(じゅんぜん)の地(じ)に住(じゅう)するなり。仏(ほとけ)の滅度(めつど)の後(のち)に能(よ)く其(そ)の義(ぎ)を解(げ)せんは、是(こ)れ諸(もろもろ)の天人(てんにん)、世間(せけん)の眼(まなこ)なり。恐畏(くい)の世(よ)に於(お)いて、能(よ)く須臾(しゅゆ)も説(と)かんは、一切(いっさい)の天人皆応(てんにんみなまさ)に供養(くよう)すべし

意訳は  

 この法華経を持つことは困難である。しかし、若し暫(しばら)くでも受持(じゅじ)するものがあれば、お釈迦(しゃか)さまが悦ばれます。また、すべての仏さまも同様です。このような人は、仏さまにほめ讃えられる人であります。これこそ勇気の人であり、精進の人であります。戒を持(たも)ち(お題目の信心口唱)、頭陀(ひたすら仏道を修行する)を行ずるものと名付く。これを行う人が、速(すみや)かに仏の至上のさとりを得ることができる。来世に法華経を読み持つ人こそが、真の仏子であり寂光浄土(じゃっこうじょうど)に住したといわれるのです。お釈迦さまの滅後に法華経の教えを正しく信じて理解するならば、世間の目標となるでしょう。恐ろしい悪世にしばらくでも法華経を説く人あれば、天も人も皆その人をお守り下さるでしょう。

 大聖人は、

 法華経(ほけきょう)の第八(だいはち)の巻(まき)に云(いわ)く、法華(ほっけ)の名(な)を受持(じゅじ)せん者(もの)、福量(ふくはか)る可(べ)からず、云(うんぬん)々。正法華経(しょうほけきょう)に云(いわ)く、若(も)し此経(このきょう)を聞(き)いて名号(みょうこう)を宣持(せんじ)せば徳量(とくはか)る可(べ)からず、云(うんぬん)々。此等(これら)の文(もん)は題目計(だいもくばか)り唱(とな)うる福量(ふくはか)る可(べ)からずと見(み)えたり。一部八巻二十八品(いちぶはちかんにじゅうはっぽん)を受持読誦(じゅじどくじゅ)し、随喜護持(ずいきごじ)するは広(こう)なり。方便品寿量品等(ほうべんぽんじゅりょうほんとう)を受持(じゅじ)し、乃至(ないし)、護持(ごし)するは略(りゃく)なり。唯(ま)だ一四句偈(いっしくげ)、乃至(ないし)、題目計(だいもくばか)りを唱(とな)え護持(ごじ)するは要(よう)なり。広略要(こうりゃくよう)の中(なか)には要(よう)が中(なか)の要(よう)なり。 『法華題目抄(ほけだいもくしょう)』

また、

 此経(このきょう)を聞(き)き受(うく)る人(ひと)は多(おお)し、実(じつ)に聞受(ききうく)る如(こと)くに大難来(たいなんきた)れども、憶持不忘(おくじふぼう)の人(ひと)は稀(まれ)なるなり。受(う)くるはやすく持(たも)つはかたし。さる間成仏(あいだじょうぶつ)は持(たも)つにあり『四条金吾殿御返事(しじょうきんこどのこへんじ)』

 とお示しで、絶体の信心でお題目を持(たも)っていかねばならないとお教えになっています。

一覧に戻る


上へ戻る