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仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より

かたみのお会式を迎えて

一.お会式をかえりみて

 もともとお会式は一般寺院で催された法要の儀式をさしており、朝廷での法要も同様に云っておりましたが、近年になって日蓮聖人のご正忌(十月一三日)の法要のみを通称するようになったのです。かつて江戸時代には”ご命講”ゴメイコウとか”お影講”オエイコウなどと呼んでおり、今日でもそう呼んでいる所が飛騨の高山市の法華寺等で、十一月十二日に午後二時からお逮夜、晩の七時からご正忌を勤める。檀家はもちろん、周辺の方々からも宗派を超えて、お命講さまを広く慕っている。昔は門前に市が立った程だといいます。

 お会式や夜霧とよもす大太鼓(素山)、

というように一般にはお会式で、在方(ザイカタ)とか、山辺ではおけそく(小さい鏡餅)、果物、菓子など民家で勤めたお会式の供物を近所へ配ったり、或いは諷誦文講(フジュモンコウ)という地域の講中が家毎に集まってお題目、自我偈等をあげて、お寺のお会式に諷誦文を加えて読んで頂くとか、お寺のお会式に万灯を納め、団扇太鼓を門前からたたくなど多彩な地方もあります。  

二.聖人の臨終

 聖人は晩年の御書に、

 日蓮ガ下痢去年十二月三十日事起り、今年六月三日、四日、日々に度をまし月々二倍増す。(中務左衛門尉殿御返事 定本一六七三)

と述べられた如く、齢い六十歳前後から病にかかり、弟子、信者のすすめもあって陸奥の湯治療養旁、八年有余の身延生活を後にして旅立たれ、十一日間をついやして十八日に武蔵の池上氏の館に着かれた。

 時に六十一と申す弘安五年壬午 九月八日身延山を立ちて、武蔵の国千束の郷、池上へ着きぬ。(波木井殿御書一九三二)

と述べておられる。聖人の安着を待望していたかのように連日方々から押しかける弟子、信者達に今生の名残りとして「立正安国論」を口述されました。それは法華経の行者日蓮の旗印として、久遠本仏の使者として、誓いの上行菩薩の体験者として命をかけられたからこそです。かく思う時、聖人の生涯は立正安国論によって身を起こされ、此の論を以て末法の大衆への譲状として委嘱されました。 後に、”一期を過ぎること程なし”と悟られた聖人は、翌十月八日聖人亡きあと門下の導師、六人の本弟子(日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持)を定めて永遠の大法弘通を托しておられます。

 武蔵の国池上右衛門ノ大夫宗長が家にして可死ス候?(波木井殿御書一九三二) と

臨終目前を予告されています。続いて同一三日門下の各師が読経三昧の中で聖人は不滅の業績をとどめて、聖寿六一歳を一期として静かに生涯を閉じられたのです。時、あたかも朝日が池上邸一面を照らす八時頃でした。翌一四日に、日昭、日朗の高弟によって納棺の儀をおえ、夜中に葬儀を修め、続いて荼毘にふされたのです。ご遺骨は、

 いづくにて死ニ候とも、はかをばみのぶさわにさせ候べく候。(波木井殿御書一九二四)

との遺戒に従い、身延に埋骨されたのであります。

三.かたみの魂魄

 波乱と闘魂の繰り返しの一生であった聖人は、お題目との出会いによって、すぐれた智恵と勇気の決断の下に法華経の開導者として、精魂をつくし果たされました。

 今、日蓮は去ヌル建長五年癸丑四月二八日より今、弘安三年太歳庚辰一二月にいたるまで二八年が間、又他事なし、只ダ妙法蓮華經の七字五字を日本国の一切衆生の口に入レンとはげむ計リ也。(諌暁八幡抄一八四四)

とあるように、お題目にかける絶対の意志と、無上の誓願を込められたのです。これこそ慈悲の涙であり、またこれは何時でも、誰にでも、何処でも受持ことができるので甘露の涙でもあります。

 鳥と虫とはなけどもなみだをちず。日蓮はなかねどもなみだひまなし、此ノなみだ世間の事のは非ラず、但タ偏に法華経の故なり。若シしからば甘露のなみだとも云うべし。(諸法実相抄七二八)

と真情を述べておられます。此のように聖人の最初の涙は法華経との出会いでの感激で、その時は限りない随喜とやむにやまない慈愛のこもった感涙でした。それが晩年には”一期の大事”と仰せのように生涯の疑いも晴れて、自分こそは正しく法華経の行者であるとの自信を絶対の誇りとされ、これこそ法悦にむせぶ真髄である甘露の涙となったのです。かくして聖人は臨終に際し、”日本第一の法華経の行者也”との不退転の覚悟を示され、進んで現世の弟子、檀那、信者に対して”日蓮房が弟子檀那なりと名乗りて(霊山会上へ)通り給うべし”と今日へのかたみをのこされたのです。

 日蓮といいし者は去年九月一二日子丑の時に頚はねられぬ。此は魂魄佐渡の国にいたりて、返年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそろしくてをそろしからず。みん人いかにをぢずらむ、此レは釈迦、多宝、十方の諸仏の未来日本国当世をうつし給フ明鏡なり。かたみともみるべし。(開目抄590)

と懇ろに論されてあるように、聖人入滅既に七〇八年を迎える今日も、聖人の”たましい”は脈々として一切衆生に伝わる明鏡であります。そしてこの明鏡こそは本門の寿量品の肝心の南無妙法蓮華経であり、私どもの胸中にはたえず生き生きとして鼓動し、語り続けてくれるかたみなのであります。今日、あまりにも恵まれすぎて、忘れがちな、怠りがちなこのかけがいのないかたみを片時も見失うことなく、さらに磨きをかけて子々孫々に伝えてこそ、お会式の本旨があるのです。

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