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仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より

南無とはどういうことですか。

田中見成

   仏法僧の三宝は、仏教徒が最も尊重しなければならない三つの宝物であります。この三宝は、私達が人生に意義と価値を見い出し、生命に感謝し、安心と満足の生活を送るための大切な指針でもあります。仏教においては、三宝に「南無」する事が根本精神であり、各教団とも作法は異なるものの、法要に際しては三宝に対して「起立合掌、曲?低頭」等の敬礼の姿勢をとります。本宗においても、法要の初めには「一心敬礼、南無・・・・仏、南無・・・・法、南無・・・・僧」と唱える三敬礼、終りに「一切恭敬、自帰依仏、自帰依法、自帰依僧」と唱える三帰礼の声明が行なわれています。

 南無とは、梵語のnamasの音写であり、漢訳して帰命、恭敬、敬礼、帰依等と言います。日蓮大聖人は『事理供養御書』に「南無と申すは天竺のことばにて候。漢土日本には帰命と申す。帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり」と解釈されています。

 日蓮大聖人は、建長五年四月二十八日、故郷清澄山旭ヶ森にて太平洋上に昇る旭日を拝し「南無妙法蓮華経」の第一声を発せられました。日蓮大聖人の「南無」とは、釈尊出世の本懐たる法華経本門寿量品の久遠仏を本仏と仰ぎ、本法たる題目を信唱し、自ら本化(本仏の弟子)の菩薩として妙法宣布の色読に殉ずる不惜身命の「南無」であります。『開目抄』には、その決定したぎりぎりの境地、覚悟を

「詮するところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期とせん・・・・・・善に付け悪につけ法華経をすつる地獄の業なるべし・・・・:父母の頸を刎、念仏申さずわ。なんどの種々の大難出来すとも、智者に我義やぶられずば用いじとなり」

と端的に披瀝されています。大難、小難降る雨の如しの大聖人の生涯を偲ぶ時、始めて「南無」の本質義を領解信得できるのではないでしようか。  誰の人生に於いても生老病死の不安は訪ずれます。憂悲苦悩の生活は常に待ち伏せています。しかしそれらの諸難に遭遇する時こそ、私達は今一度日蓮大聖人の「南無」の心に立ち帰り、本仏を仰ぎ、妙法を信唱し、更には自己の内心に妙法の光明輝く宝塔を涌現する信心に安住したいものであります。  

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