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仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より

日蓮大聖人からの我々お題目信者へのお手紙を一つご紹介下さいませんか。

布教研究所所員・豊橋 本門寺住職 都築英信

 一代の聖教は皆如来の金言、無量劫より已来不妄語の言也。就中此法華経は佛の正直捨方便と申して真実が中の真実なり。多宝証明を加、諸佛舌相を添へ給。いかでかむなしかるべき。其上最第一の秘事はんべり。此経文は後五百歳二千五百余年の時、女人の病あらんととかれて候文なり

-中略-

  当時の女人の法華経を行じて定業を転ずることは秋の稲米・冬の菊花、誰かをどろくべき。されば日蓮悲母をいのりて候いしかば、現身に病をいやすのみならず、四箇年の寿命をのべたり。命と申す物は一身第一の珍宝也。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり。法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆへぞかし。

  このお手紙文は、一二七五年(文永十二年)大聖人五十四歳の時、富木常忍の妻富木尼御前に与えられたものです。訳してみますと、 釈迦仏が一代に説かれた聖教は、みな釈迦如来の金言である。はるか昔から、うそいつわりのないおことばである。そのうちでも、とりわけこの法華経は仏が「正直に方便を捨てて」と説かれたものであるから、真実の中の真実のお経である。それに加えて、多宝如来は「皆これ真実」と証明され、諸々の仏は舌を梵天につけて(諸仏が広く長い舌を出し、梵天の世界までのばしたこと。古代インドではウソでないことの証明に舌を出す風習があった)うそでないことをいいそえられたのである。どうして真実でないことがあろうか。そのうえ、もっとも重要とされてきた法門がある。その経文は「仏がなくなられたあとの第五の五百年のとき、すなわち末法の始め二千五百余年のころ女性は病気にかかるだろう。その病気を癒す教えがある」と説かれている。

-中略-

  仏がなくなられて二千五百年である末法の現在に、女性が法華経を修行して定まった寿命をのばすことは、季節どおり秋に稲がみのり、冬に菊が咲くのと同じようなものであり、誰も驚くことではない。だから日蓮も危篤の悲母(大聖人は母の病気を見舞うため、文永元年安房に帰郷し重病の母の病気平癒を祈った)の病気平癒を祈ったところ、病気をなおすのみならず四年もの寿命をのばしたのである。

  命というものは、人間一身にとって第一の珍宝である。一日だけあろうと命をのばすならば、千万両の黄金にもまさるのである。法華経が釈尊一代の聖教のなかでもすぐれて尊いというのは、仏の寿命が永遠であることを説いた如来寿量品があるからである。

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