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仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より

日蓮聖人の誓願について

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まえがき  

仏教興隆の根本は三宝(仏・法・僧)具足するか否かに在ることは、論を俟たない所である。假令仏とその説かれた法があっても、それを伝える所の適当な僧宝がなければ、仏教の興隆は期待できない筈である。されば宗祖は「立正安国論」の中で(昭定二二〇、以下同じ)

 「夫れ、国は法に依って昌え、法は人に因って貴し、国亡び人滅せば、仏を誰か崇むべき。法をば誰か信ずべきや」

と述べて、末代に仏の正法(法華経)を弘めるについて、如何に僧宝が重大な役目を持っているかを示されている。我々末代の日蓮門下の信者達にとって、その僧宝の頂点に立って我々をリ-ドして下さる御方が日蓮大聖人なのである。

 宗祖大聖人は自ら「法華経の行者」と称され、時には「日本国第一の法華経の行者」とも仰せられて、此のことを裏付けている。しかも宗祖の我々弟子檀那に対する期待と指導法については、

 「日蓮が弟子と云うて法華経を修行せん人々は、日蓮が如くにし候へ」(四菩薩造立鈔一六五〇)
 「和当共(わとうども)二陣三陣つづきて、迦葉、阿難にも勝ぐれ、天台、伝教にもこへよかし」(種々御振舞御書九六二)

と述べて、具体的に自分(日蓮)を手本としたり、或は自分がリ-ダとして先を進むから、お前達は俺の後に続いて来いと教え示されている。法華経の神力品の中で、仏は弟子である上行菩薩等の菩薩大衆に、「如説修行」の修行法を説いておられるが、右に述べた如きは日蓮聖人が弟子檀那等に示された如説修行の方法と考えられるのである。

 宗教信仰の理想は人によって種々雑多であるが、人間の欲望が千差万別である以上、これは止むを得ないとしなければならない。仏教本来の目標は一切衆生悉皆成仏にあると云ってよく、従って我々仏教徒の信仰の目標も此所に集約されなければならない。

 教主釈尊の八相成仏と云われる成仏への道の中で、特に出家、降魔(求法、修行)・成道、説法(弘教)の目的は、現実の娑婆世界の無常遷滅の人生から解脱して、自他共に常楽我浄の仏国土に生ぜんとするにあった。即ち仏教の根本目的を端的に言えば「必死の生命の事実」と「不死の生命への願望」との矛盾の解決と云うことである。それが解脱であり、涅槃であり、成仏と云うことである。この人間のもつ生命の矛盾解決のためには、僅か五十年の人生(今では七十年、八十年と言い換えるべきかも知れない)は、決して惜しむべきものではなく、真に願うべきものは成仏であり、仏国土である。

 「日蓮は少きより今生の祈なし。只、仏にならんと思ふ計りなり」(四条金吾殿御返事一三八四)

右の御書を見る時、私達は宗祖の発願が清澄寺に上って道善房の弟子となられた幼少の時期に始まっていることを知ることが出来るのである。

 札幌農学校(現・北海道大学)創立時の外人教師クラ-ク博士は、学生に対する講演の中で、有名な「ボ-イズ・アンビシアス(少年よ、大志を抱け)」の言葉を遺しているが、宗祖の抱かれた大志は、立身出世の世俗の願いではなく、真に仏教者としての自覚に基づく「仏に成ろう」と云う純粋無垢の誓願であった。此所に私達は宗祖が後年「開目鈔」に示された三大誓願の発端を見ることができるのである。

開目鈔の三大誓願に就いて

 宗祖は建長五年(聖寿三十二歳)不退転の決意を以って立教開宗を宣言せられた。それ以来「開目鈔」御撰術の文永九年までの二十年間に、松葉谷の草庵焼討、伊豆伊東への流罪、東条小松原の刀難、相州龍口の首の座、佐渡島への流罪等を含む大小の法難二十数度に及び、その艱難辛苦は到底筆舌に尽くし難いものであった。しかもその法難は宗祖御一人に止まらず、累は弟子、檀那の末まで及んだ。

 しかし宗祖はかかる数々の迫害弾圧も、法華経勧持品の明文の予言する所であるとして、それらの迫害弾圧も喜びを以って受けとめ、少しも恨む気持ちはなかったもである。大聖釈尊の出世の本懷である法華経を読誦し(口)、心に念じ(心)、身を以って読む(身)、文字通りに及ぶ大小の難をも物ともせず愈々歓喜の念を増し、或は白刃の下に於て法悦を味あわれたのであった。

 宗祖は右の如く迫害の中に於て、よく歓喜法悦を感じられたが、数ある弟子檀那等は必ずしもそうではなかったことが御書の中に見られるのである。不断の迫害弾圧の為に、弟子檀那の中には心臆して退転する者が現れたのである。また退転する迄には至らなくても、心に疑いを抱く者も出たのである。即ち我等の師日蓮は果たして真の法華経の行者なのであろうか。若し真実の法華経の行者ならば、何故に諸天善神の守護がないのであろうか。師日蓮は常に諸宗に対して論難破斥を加えられ、この挑戦的な折伏によって諸宗の怨嫉を増し、諸宗を敵に廻す結果になった。。これが果たして正しい法華経弘宣の方法なのであろうか。法華経安楽行品には「他人の好悪長短を説かざれ」と説かれているが、師日蓮はこの仏誡に背くが故に世の反感を招き、諸天善神にも見捨てられることになったのではないか。かくして鉄の如き団結を誇った弟子檀那等の中にも、或は心臆して退転し、或は我が師日蓮は果たして正師なりやの疑いを起こす者が出て、門下の動揺混乱は日を追って増すばかりか、更には宗門互解の危険さえ感ぜられる情勢になってきた。この宗門信仰の一大危機に直面して、その不安危惧を一掃して、不動の信念を確立する必要に迫られたことが、宗祖が開目鈔を撰術された動機の一つに数えられるのである。

 次に重要なことは、仏教では釈尊滅後の時代を三期に分けて考える、即ち正法千年、像法千年、末法万年とする世界観があった。そして其の時代時代に適った弘経伝道の綱格があった。正法時代に於ては迦葉・阿難・龍樹・天親等の人師論師が小乗又は権大乗の教を宣伝し、像法の時代に於ては南岳・天台・伝教等の諸大師が実大乗の法華経の迹門(迹門法華)を宣伝し、夫々その時機に適応した弘通の方機に則って伝道に当たられた。現代(鎌倉時代)は既に末法の時代に入っており、その末法時代には法華経の本門(本門法華)が流布して、衆生を教化し救済する時期であることは、法華経に顕されている仏の予言に徴して明白に知ることが出来る。しかも此の本門法華の思想を如実に宣伝護持することの出来るものは、末法の大導師の資格を具備した本化上行菩薩の再誕に限られているのである。即ち末法の衆生は本化の菩薩(上行)に依って弘宣せられる法華本門の大法に依ってのみ救済させることが約束されているのである。

 右に述べた仏の予言と云うのは、法華経の勧持品(第十三章)に詳細に出ている。その予言の中に「数々見擯出」と云う文があるが、此の文は法華経の行者は数々(しばしば)その処を追われて他国に渡されるという意味である。若し末法に於て法華経を説の如くに修行し、その為に流罪に処せられる者があるとすれば、その人こそ仏の予言にある法華色読の行者であり、神力品(第二十一章)に於ける上行菩薩の再誕でなければならぬ。

 宗祖は既に弘長元年五月に伊豆伊東に流され、今また文永八年十月には佐渡の孤島に流されたのである。即ち伊豆の流罪から十年余を過ぎて、佐渡の流罪となって、先に示した「数々見擯出」の予言は正に的中し実証されたのである。ここに宗祖大聖人こそ、真の法華経の行者であり、且つ又上行菩薩の再来であることが立証されたのである。先に述べた如く、大小数々の法難は門下の一部には動揺と混乱を来し、教団分裂互解の危険まで予想されたが、宗祖は却って法難の加わる毎に、真実の法華経の行者・末法の大導師としての自信を深めることになり、無上の歓喜法悦にひたられたのである。

 今や仏滅後二千二百有余年、世は正に末法の濁世である。その間、天竺(印度)震丹(中国)日本の三国に亘って仏教史に名を残した聖賢高僧は数多くあるが、彼等が云わんとして明らかには云わず、行ぜんとして未だ行ずることがなかった本門法華の大法を、天下に宣揚する責任が自分の双肩にかかっていることを自覚された宗祖は、先ず自分が末法の大導師であり法華経の行者であることを天下に宣言し、末法における主であり師であり親である所以を明らかにし、主師親三徳有縁の大導師であることを大衆に発表すべき機会が到来したと判断されたのであった。

 「日蓮と云ひしものは去年九月十二日子丑の時に頚刎ねられぬ。此れは魂魄佐渡の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして有縁の弟子へおくれば」云云(開目鈔五九〇)

と仰せられた如く、凡夫の日蓮は文永八年(聖寿五十一歳)九月十二日の夜半相州竜ノ口に於て刑場の露と消え、本化上行の再誕としての日蓮がその白刃の下から生まれたのである。これこそ正に宗祖の開迹顕本であり、開目鈔述作の最大の動機と考えられる。

 右に明かな如く、開目鈔上下二巻は文永九年二月佐渡の国塚原の三昧堂の謫居に於て術作されている。佐渡流罪より僅かに四ヶ月である。して見れば本書の構想は夙に宗祖の脳裏に於て練られていたものと考えられる。それが竜ノ口法難を契機として点火され、内に在っては上行菩薩の自覚となり、外に向かっては一気呵成に此の開目鈔の術作となったと云える。此の書は古来鎌倉の四条金吾頼基に与えられたとされているが、それは偶然にもその時四条金吾の使者が塚原の鏑居を訪問していたので、それに托して鎌倉へ送られたので、実際には先ず四条金吾の手に渡ったが、対告衆は飽くまでも有縁の弟子(個人名なし)と云うことである。

 「善に付け悪に付け、法華経を捨つるは地獄の業なるべし。大願を立てん。日本国の位をゆづらむ。法華経をすてて観経等について後生を期せよ。父母の頚を刎ねん。念仏申さずば。なんど種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用ひじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべし。我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ等と、誓ひし願やぶるべからず。」(開目鈔六〇一)

此の三大誓願の文を拝するに先立って、今一度本鈔(開目鈔)冒頭の文を想起する必要がある。宗祖は本鈔の冒頭に於て「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三つあり、所謂主・師・親これなり。又習学すべき物三つあり、所謂儒・外・内これなり。」と述べて、我等衆生の尊敬すべき人と、習学すべき法とを隻べて概観を試み、更に本論に入って衆生の尊敬すべき大導師は在世に於ては本仏釈尊であり、仏滅後の末法にあっては本僧日蓮であるとする。また学習すべき法は、一念三千・二乗作佛・久遠実成の諸経超勝の内容を持つ法華経であると説かれている。

 宗祖在世当時の鎌倉時代はまことに国歩艱難の時代であった。外からは国難が迫り、内に在っては天変地夭相次いで起こり、世の中の人心が極めて不安定であった。しかもそれに対する宗教界の動きは、旧態然として頗る低調であった。この時に当たり宗祖は正法を護持宣揚し、救国愛民の誓願を立て、自らの身命を捨てて困難に立ち向かわれたのであった。それを具体的に示されたのが、此の「我れ日本の柱(主の徳)、眼目(師の徳)、大船(親の徳)とならん」と云う三大誓願である。身に降りかかる大小幾多の難を物ともせず、ただ只管に真理の宣伝と正法の弘通に努められた、宗祖の不抜の信念と気魄は、祖滅以来七百年余を経た今日も我々門下の末流を汲む者をして奮い起たせずには置かないものがある。最後に、

 「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外、未来までも流るべし。日本国の一切衆生の盲目を開ける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。云云」(報恩鈔一二四八~九)

の御書を拝して、我々が末法の世に生まれて、しかも宗祖の慈悲に浴しえた喜びを感謝すると共に、二陣三陣と続いて宗祖の御期待に副い奉るべく、決意を新たにして勇猛精進することを念願するものであります。

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