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仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より

お題目と念仏のちがいは?

鈴木顯正

 念仏の南無阿弥陀仏は阿弥陀仏の救いに絶対帰依することですが、お題目の南無妙法蓮華経は、お釈迦さま(本仏釈尊)の救い、すなわち妙法蓮華経(法華経)に絶対帰依することです。

 さて南無阿弥陀仏の教えというと、まずこの現実の娑婆国土はあまりに汚れ、そこに住む我ら凡夫も我欲が強く、執着が多いため、娑婆国土における仏道修行は不可能であると説きます。そこで、ひたすら阿弥陀仏の救いを願求する南無阿弥陀仏の念仏を称える者は、すべて死後、必ず安らかな成仏修行のできる西方極楽浄土へ往生してゆけるとの教えであります。例えば十人が念仏を称えれば、十人すべてが極楽往生できるので、これを十即十生と申します。

 これに対して日蓮大聖人は次のごとく念仏の教えのもつ矛盾を感じられ、そして長い修行の結果、お題目こそ真の救いの教えであると確信されたのです。その仏の持つ矛盾とは、

 (一)十即十生への疑問  大聖人当時は、いわゆる末法時代に入ったと言われ、大地震・飢餓・疫病が続くなど、世は正に末世の様相を呈しておりました。大聖人さまは、念仏を信仰する家に生まれ、幼少の頃から熱心に念仏を唱えておられましたが、念仏を唱えるため信者や高僧の中に異相往生・狂乱往生など、現実には臨終で苦しむという姿に遭遇され、十即十生という教えに矛盾を感じられました。

 (二)極楽百年の修行より穢土一日の功  大聖人は、念仏の十即十生のような死後の観念的成仏、他力まかせの往生よりも、現実に生きているこの娑婆で救い(成仏)の道を開いていくという、この世での修行の大切さを説かれました。

 (三)唱題修行による立正安国(成仏)

 我等衆生が本当に信仰すべき(仏)は、実在しない阿弥陀仏ではなく、その教主である本仏釈尊こそ、現実に衆生教化された因縁深き仏である。そしてその本懐の救いの教法こそ法華経、すなわち本門寿量品の肝心南無妙法蓮華経であると、大聖人は、「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給ふ。」と説かれました。

 すなわち我等衆生が、まことの仏たる本仏釈尊の、まことの教えたるお題目を唱題受持(修行)していくとき、本仏釈尊の救いを自然に譲与(成仏)され、さらにはこの娑婆国土全体が仏国土に開かれていく(立正安国)と教えられたのであります。

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