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仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より

お彼岸について教えてください。

宗務主事・新居本果寺住職 金原孝宜

 一.彼岸の意味  

 「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように彼岸になると季節の移り変わりをはっきりと感じる。ことに春の彼岸をむかえると草木の新芽が陽光に輝いて、世の中が明るくなってきたようで心身が一新させられる。このような自然の美しい変化のときに彼岸の行事が行われることは、先人の智慧から生じた尊いならわしであろう。日頃は生活に追われて先祖のことを忘れていても彼岸を迎えると、亡き祖先や知人のことが偲ばれてお墓にお詣りをしたいという気持ちが自然に起こってくる。

 彼岸は春分(秋分)を中心としてその前後三日を加えて計七日間を彼岸と言っている。彼岸は梵語ではパ-ラミタ-と言い、波羅蜜の漢字をあてており、到彼岸と訳している。一般にはお彼岸と略されて親しまれている。

 インドの龍樹(一五〇~二五〇頃)というすぐれた学僧は大智度論第十二の中に「生死をもって此岸となし、涅槃を彼岸となす」と述べて現実の生と死に苦悩する此岸を脱却して涅槃というべき悟りの世界へ到達することを強調している。また金剛経には「生死をもって此岸となし、煩悩を中流となし涅槃を彼岸となす。仏の智慧を舟の楫(かじ)となして、よく生死の岸を離れ、煩悩の流れをわたり涅槃の岸に登る」と説かれている。これらの教義を背景として、彼岸を求める風潮が、大衆の先祖を思う気持ちと合して彼岸の行事が起こってきたように思われる。

二.彼岸の起源

 日本ではこの彼岸会について、「日本後記」の中に次の如くのべている。「大同元年(八〇六)三月辛巳に、崇道天皇光仁天皇の子早良(さわら)親王のために諸国国分寺の僧をして春秋二仲月別七日、金剛般若経を読ましむ」とある。大同元年は五月十八日改元しているから延暦二十五年となる。早良親王は光仁天皇の子、桓武天皇の弟である。七八五年崇道天皇と追号されている。延暦二十三年は伝教大師、弘法大師が唐の国へ留学している。二十四年最澄は帰国し天台法華宗を弘めた。今から約千二百年位以前の時代である。しかしお彼岸の行事はこれより前から行われたと思われるが、文献上ではこの日本後記の説を始めとしている。

三.彼岸の実現

 この此岸から彼岸に到るのに六つの方法があるといわれ、これを六波羅蜜という。(昭和六十三年秋彼岸号を参照)

1.布施=ほどこしをすること。この施しに財施、法施、無畏施、がある。金品を施し、人につくすのが財施であり、精神的に悩む人に教え、忠告を与えて励ます法施、心の不安、恐れを除く無畏施などがある。

2.持戒=戒律をまもること。いろいろの戒があるが基本的には五戒である。(1)生きものを殺さない。(2)ぬすみをしない。(3)よこしまな異性関係を結ばない。(4)うそをつかない。(5)酒におぼれない。この五戒は仏教徒のいましめを示す。昔も今も人間行動の根源がはらむ負(ふ)の傾向は変わらないようである。

3.忍辱=たえしのぶこと。苦難に対して忍ぶことは人間をきたえるためにも大切なことである。最近は物が豊かになり生活が便利になるにつれて、たえしのぶということがうすれてきたことは残念に思う。

4.精進=努力すること。精進というと精進料理を思い出すが、本来の意味は一心に励むことである。今日日本は経済的に豊かとなり、もっと休みを多くすべきであるといわれる。休日をとることはそれなりの意味があるが、精進の心がなくなったら身を亡ぼしてしまう。

5.禅定=心を静かにおちつかせる。今日の社会変動の激しさは昔とちがってめまぐるしい。情報の急流の中をおぼれず、自己を適正に処していくことはむつかしい。したがって心の散乱はどうしょうもない。こういう時に心をおちつかせ静かに己れをみつめたい。

6.智慧=仏さまの智を体得しよう。われわれは情報過多におぼれて、ともすれば本末顛倒の行動に落ち入りやすい。いろいろの知識を照らして生かすのが智慧であり、この智慧を磨きたい。

四.生きがいのある人生

 日蓮大聖人の「新池御書」に

 「雪山の寒苦鳥は寒苦にせめられて夜明けなば栖つくらんと鳴くといえども日出でぬれば、朝日のあたたかなるに眠り忘れて又栖をつくらずして一生虚しく鳴くことをいう。一切衆生も又復是くの如し。」

と述べられている。天竺(インド)の雪山という山に寒苦鳥という鳥がいた。メス鳥は夜になると「寒くて寒くて死にそうだ」と泣きながら言い、オス鳥は「夜が明けたら巣を造ろう」と鳴いていた。そして夜が明けて陽光に照らせれると、「前夜は泣きあかして眠れなかった。今のうちに寝なければ死んでしまう。」と思って眠ってしまう。夕方寒くなって眼がさめ、暗くなると一晩中寒さのために泣きあかす。明日こそは巣を造ろうと思いながらも陽が照りだすとその暖かさについウトウトとして寝こんでしまう。

 われわれもこの寒苦鳥のように、一生をむなしく送っていないだろうか。お彼岸という大切な縁を生かして、この世に生を受けた悦びを感謝し、法華経の御恩に報いるよう努めたい。法華経では彼岸(理想の境地)ははるか彼方にあるのではなく、現実の一歩一歩進む過程の中にあると説かれる。一歩ずつ理想像を描きつつ、生の充実を味わい、信仰の光を点じたい。  

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