• ホーム
  • 法華宗(陣門流)とは
  • 法華宗の行事
  • 法華宗寺院
  • お問い合わせ

仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より

三十番神、三十一日はどうなるの

田中見成

 霊鷲山において釈尊から法華経の説教を聴聞した三世十方の諸仏、諸菩薩、諸天等が釈尊滅後の法華持経者を守護するとの誓願を立てたという確信は、日蓮大聖人の生涯をつらぬく不動の信仰でありました。そしてその信念に最も強く影響を与えたのは法華経第二十六章に登場する二聖、二天、鬼子母神・十羅刹女による法華持経者に対する擁護の教説であります。

 『日女御前御返事』には「陀羅尼品と申すは、二聖、二天、十羅刹女の法華経の行者を守護すべき様を説きけり。二聖と申すは薬王と勇施となり。二天と申すは毘沙門と持国天となり。十羅刹女と申すは十人の大鬼人也、四天下の一切の鬼神の母なり、又十羅刹女の母あり鬼子母神是也。」と述べられています。




  平安朝時代には、貴族社会を中心として法華経は信仰され、その結果必然的に二聖、二天、鬼子母神・十羅刹女は陀羅尼品の重要尊として崇敬を得たようであります。後白河法皇の勅撰になる『梁塵秘抄』にも「ゆめゆめいかにもそしるなよ、一乗法華の受持者をば、薬王勇施多聞持国十羅刹女の陀羅尼を説いてぞ護るなる」とうたわれています。

 二聖、二天、鬼子母神・十羅刹女が「五番善神」の言葉として成立したのは、少なくとも室町中期であり、法華信徒の間に一般化したのは江戸時代といわれています。  三十番神の信仰は、国内の名ある神社三十体を勧請して日番に守護せしめた事に始まります。この護法善神の観念は、本地垂迹説の普及によって南北朝時代に至ると法華教団全般にとり入れられ、その後室町、江戸期を通じ現在に至るまで、広く民衆の信仰を集めています。

 明治五年、太陽暦が採用されると、従来の大陰暦を一年の季節に合せた旧暦(一ヶ月は二十九日或は三十日)には無かった三十一日が生じました。その結果、旧来の三十番神に空白日の日番役割を担う一神を加える必要から、過去長き歴史に亘り持経者擁護の誓願をたて篤き信仰を寄せられた五番善神が、三十一日の日番の善神として勧請されるようになりました。

 

一覧に戻る


上へ戻る