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仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より

正月(日本年中行事)

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 古来正月はお盆と並んで、年二回の魂祭のことであり、お盆が先祖代々の霊の供養を行なう行事であったのに対して、正月は年神様の祭であり、年とは本来稔りを愚味することで、このため正月には豊作を祈るという予祝行事が多く行なわれていました。

 我国では最初、望の正月という月齢を基準にした十五日正月を祝っていましたが、唐代の朔旦正月が伝わって以来、これが公式の正月として行なわれるようになりましたが、民間では生活と結びついた望の正月との両方を祝うようになりました。現在でも、太陰暦の正月と太陽暦の正月の両方を祝う所も多く残っています。

 望の月は現在の小正月であり、餅花をつけた飾り木を立て祝い、朔旦正月は大正月で門松を立て祝いました。

 正月の期間は地方によってはことなる所もありますが、元旦から三、五、七ヶ日までか、小正月までかに定められているようです。

 次に門松、屠蘇、鏡開きについて略述します。

◆門松◆
 依代ともいわれ年神様がおいでになる目印の事ですが、起源はいつころか、はっきりしませんが堀河天皇の時代にはすでに広く民間の風習となっていました。遠く神代の天照大神(神話上の神)が天の岩戸にかくれた時、榊をたてた故事から出たようです。
  松は祭木ともいい、千年変わらぬ緑がめでたいからで、男松、女松を立てるのは、イザナギ、イザナミの両神(神話上の神)をかたどったようです。竹はまっすぐの心を表わし、梅は霜雪をしのいで咲く力強さを表わしたものです。

◆屠蘇 ◆
 これは屠蘇散という漢方薬で、昔は宮中で行なわれていた風習が民間に広まったもので、白求、桔梗、山淑、防風、肉桂、大黄、赤小豆などをきざんで赤絹の袋に入れ酒に浸して作ったもので、江戸時代以前は体内の邪気をはらう豊薬としてふだんでも飲用しましたが江戸時代になると正月だけのものとなり、三ヶ日が過ぎるとこれを井戸に投げ入れ無病患災を願ったようです。

◆鏡開き◆
 鏡開きは境割りともいわれますが、これは、鏡もちを刃物で切ることを忌み、手や槌で割り開いたことによるものです。

 この行事は、平安時代の新年の行事の一つとして正月の二十日に無病息災を願って大根、押鮎などを食べる風習がありましたが、室町時代になると武士階級の行事となり、武士の家では男子はよろいびつの上に、女子は鏡台の上に鐘もちを飾り二十日にこれをおろして男子は刃柄(はつか)、女子は初顔(はつがお)の祝いとして食べていましたが、江戸時代初期に三代将軍家光公の忌日が二十日であったため承応年間から十一日に改められました。この日一般家庭では、家内円満と無病息災を願い、おしるこを作り鏡もちを入れ食べる風習がありますし、講道館では、この日に初稽古を行なったあと鏡開きの行事を行なっています。なお鏡開きは地方によって日にちが違い、関西では四日に、青森県の津軽地方では三日に鏡上げと称して行ない、新潟県の上越市では鏡ナラシという行事が行なわれています。  

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