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仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より

大聖人は夫婦のありかたについて、どのように教えを説かれていますか?

布教研究所所員・酒田 眞量院裡 石丸司朗

 さては、男は柱のごとし、女は桁(なかわ)のごとし。男は足のごとし、女人は身のごとし。男は羽のごとし、女は身のごとし。羽と身とべちべち(別々)になりなば、何をもってか飛ぶべき。柱たう(倒)れなば、桁地に堕(お)ちなん。家に男なければ、人の魂(たましい)なきがごとし。

・・・・中略・・・・

ちりし花も又さきぬ。をちし果(このみ)も又なりぬ。春の風もかわらず、秋のけしきも去年(こそ)のごとし。いかにこの一事のみ変わり行きて、本(もと)のごとくなかるらむ。月は入りて又(また)いでぬ。雲はきへて又来(きた)る。この人の出でてかへらぬ事こそ、天も恨(うう)めしく、地も嘆(な)かしく候へとおぼすらめ。急ぎ急ぎ法華経をらうれう(狼料)と頼(たのみ)まいらせ給いて、霊山浄土(りょうぜんじょうど)へまいらせ給いて、見まいらせ給うべし

 このお手紙は、大聖人に佐渡配流(はいる)の折、献身的につくされた阿仏房(あぶつぼう)の妻である千日尼(せんにちあま)に対して送られたものであります。

意訳は、

 さて、男は柱のごとく、女は桁のごとくであります。男は足のようであり、女は胴体のようであります。男は羽のようであり、女は胴体のようであります。羽と胴体と別々になったら、どうして飛ぶことができるでしょうか。柱が倒れたら横木の桁(けた)は地に落ちてしまいます。家に男がいなければ人に魂がないぬけがらのようなものであります。

・・・・中略・・・・

 散った花もまた咲きました。落ちた果も再び実を結びました。春の風も変わりなく吹き、秋の景色も去年のままです。それなのに、一体どうして夫が帰ってこないという事ばかりが変わってしまって、もとのようにならないのでありましょうか。月は入ってもまた現れ出てきます。雲は消えてもまたやってきます。この人ひとりがあの世に旅立って帰ってこないことばかりであるのは、天も恨めしく地も嘆かわしいことよとお思いでありましょう。急ぎ急ぎ「法華経」を旅の資糧とたよりにされて仏の世界である霊山浄土へ行かれ、亡きよき人であられる阿仏房殿とお会いになられて下さい。

 と、浄土での再会をお説きになって、夫婦は力を合わせ、一生を共にすべきとお教えになっています。

 大聖人は、幕府に対して三度の諌暁(かんぎよう)(いさめること)や、その激烈な布教方法などによって、一般的には「剛」のイメージが強いと思います。反面、門下の弟子たちの苦難や、夫や子どもをなくした女性に対して、涙して途中で筆をおくことさえあられた温情溢れる方でありました。

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