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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より

教主釈尊は五百塵点已前の仏なり 因位も又是の如し

出展:観心本尊抄(昭定七〇七頁)
解説:学林教授・岡崎 長福寺住職 牧野真海

教主釈尊は五百塵点已前の仏なり 因位も又是の如し

 今月は昨年八月の聖訓カレンダーのテーマ「人間に仏性(ぶっしょう)はあるのか?」の続編(ぞくへん)です。
  私たちの心には「地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人(にん)・天(てん)・声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)・菩薩(ぼさつ)・仏(ぶつ)」の十の世界があり、これらは互いに関わり合っている(十界互具(じっかいごく))ことは先回述べました。
  教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)はその頂点たる仏界(ぶっかい)の主であり、五百塵点(ごひゃくじんでん)は「永遠(えいえん)」を意味します。つまり釈尊は始まりも終わりもない、過去・現在・未来の三世(さんぜ)に亘(わた)って仏悟(ぶつご)の慈悲(じひ)を授(さず)けてくださるのですが、ここにひとつ疑問が生じます。それはまさしく、
「因位(いんい)もまたかくのごとし」
の文です。そもそも因位とは悟りをひらくための修行段階のことで、菩薩界までの九界のことです。修行によって開悟(かいご)して、「果位(かい)」となり、仏界者となります。修行(しゅぎょう)(因)から開悟(かいご)(果)という流れが私たちの常識といえるでしょう。
  ところが、永遠・久遠実成(くおんじつじょう)の釈尊は修行と同時に成仏しているのです。この教えは法華経(ほけきょう)の如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)にしか説かれません。因と果と同時存在できるのは、釈尊が空間のみならず時間をも超越しているがゆえに成立するのです。
  時空間を超越した久遠本仏(ほんぶつ)たる釈尊は、私たちの永遠の救済を保証してくださいます。
  本仏の慈悲に浴するために、本門(ほんもん)寿量品の肝心(かんじん)たる南無妙法蓮華経の唱題受持(しょうだいじゅじ)につとめましょう。

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