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伝統ある宗派 法華宗真理は常に平凡である。

荒井日幹   (元法華宗管長・総本山七十七世貫首)

 法華宗の伝統という題をかかげたが、私はあえて宗門のみが日蓮大聖人の正流を伝えていることを誇示しようというのではない。宗祖の教えが非常に多岐多様であって、各派がそれぞれの一端を精研し、その意義を明らかにすることにつとめたことは誠に結構であったが、ただその一端に固執した結果、ついに今日のような分立を見たことを甚だ遺憾なことと思っている。

 法華宗は、日陣尊聖人の仰せにも「日陣が私義にあらず」とたびたびいわれているように、すなおにその教えを伝えることにつとめてきた。たとえば宗号の「法華宗」にしても、宗祖がしばしば仰せられたことをそのまま用いたのであるし、新奇をてらうことは、つとめてさけてきたのである。

 ただし、門祖日陣尊聖人の仰せによれば、宗祖のたくさんの御書の中で、宗祖ご自身が「当身(とうしん)の大事(だいじ)」と仰せられた本尊抄(ほんぞんしょう)と「一期(いちご)の大事」と仰せられた開目抄(かいもくしょう)との二抄を根本とし、もしこれに抵触する教えのあった場合は、宗祖のご方便ご便宜の法門として取捨せよということになっている。したがって珍しい法門とか、新奇な教えなどはもちろん無いし、また古来の学匠の中にも「某(それがし)の己証(こしょう)の法門(ほうもん)」などと仰せられた方はないようである。

 昔、兎に耳が三つあるといって議論して勝った人がある。翌日負けた人がこういった。誠に巧みな議論であったが、しかし兎に耳が二つしかないことは誰でも知っているし、そしてそれが真実であると。

 真理は常に平凡である。法華宗は門祖日陣尊聖人以来宗祖日蓮大聖人の仰せをもっとも忠実に守ってきたし、将来もまた全うしたいと念願している。

 

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