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法華宗のおしえ

村上日宣   (元宗務総長)

1 宗旨のなまえ

 わが宗の正しいなまえは、法華宗といいます。日蓮大聖人を宗祖と仰ぐ宗派は、私たちの宗のほかにいろいろあります。しかし、これらは宗祖がおつけになった宗名ではありません。宗祖がご自身でおつけになった宗祖のなまえは法華宗でありました。

 わが宗が日蓮大聖人の教えの正統をうけついだ宗旨であることは、宗名がよく物語っているとも申せましょう。

2 法華経と日蓮大聖人

 お釈迦さまはご一生の間にかぞえきれないほど沢山の教えを説かれました。しかし、それらのなかでもっとも優れた教えは法華経であります。

 中国第一の仏教学者であった天台大師という方は、お釈迦さまの最も尊い教えは法華経に説きつくされており、それ以外のさまざまなお経は法華経を説くまでの準備教育のためのお経で、相手の理解の程度や、性質に合わせて説かれたものにすぎないとされました。そして大師は法華経によって天台宗という宗旨をたてられたのであります。

 宗祖もまた法華経によられながら、どうして異なった宗旨になったかと申しますと、天台大師は法華経の中心を方便品におかれたのに対し、宗祖は寿量品こそお釈迦さまの本当のお気持ちを述べたもの であるとされたからであります。方便品を中心とした法華経を迹門(しゃくもん)の法華経といい、寿量品を中心とした法華経を本門の法華経と申します。法華経以外のお経が法華経を説くための準備の教えであったように、迹門の法華経もまた本門の法華経を説くための準備の教えでありました。

 かように見てまいりますと、本門の法華経こそ最高の教えであり、お釈迦さまご自身の宗旨であったと申さねばなりません。人間が仏になる道はこの教えの他にはないのであります。

 宗祖は十数年にわたるご勉学のすえこのことをハッキリ学びとられ、この教えを広めて世の中のあらゆる人々を救おうと堅く心に誓われたのであります。

3 おしえのあらまし

 それでは法華宗とはどういうことを教える宗旨でありましょう。

 さきに、法華宗はお釈迦さまご自身の宗旨であると申しました。しかし、そのお釈迦さまというのは、寿量品によりますと印度でお生まれになった歴史上のお釈迦さまそのままではありません。計りしれない久遠の昔に悟りを開かれた根本の仏さまがあって、その仏さまが世の人々の悩みを救うために三千年前お釈迦さまとして仮の姿を印度に現わされたのであります。これを久遠(くおん)のお釈迦さまとも久遠の本仏(ほんぶつ)とも申すのであります。

 法華経のなかでも方便品を中心とした前半までの教えは歴史上のお釈迦さまの資格で説かれたものであります。垂迹(すいしゃく)のお釈迦さまの教えでありま すからこれを迹門の教えと申すのであります。寿量品はご自分の本当の身分を明され、久遠本仏の資格で説かれた教えでありますので本門の教えと申します。本仏の資格で説かれた教えは全仏教のなかでも寿量品を中心とした本門の法華経しかないのであります。したがってお経の内容も他とは大変ことなっております。

 いま、そのあらましを申しますと「あなた方は本来仏さまの御子であり、何の欠けたところもない立派な仏であり、この世の中はどこのお浄土にもすぐれた理想の世界なのだ」というのが寿量品の教えであります。これは今までのお釈迦さまの教えを聞いていた人々にとって耳を疑いたくなるようなお言葉でした。私共は今まで自分は凡夫であり、けがれた心の持ちであると思いこんでお りました。それ故お釈迦さまの教えをうけ、それを実行することによって一つ一つ心の垢を洗いおとし、やがて仏さまのような清い心に近づいて行くことができる、それが仏教であると思っておりました。それがまた迹門の法華経までの骨子でありました。

 ところが本仏としてのお釈迦さまの目からご覧になると、私共はそのままで立派な仏であり、「あなた方が自分を仏と思えないのは本心を失っているからだ」と申されるのです。私共が自分の行ないを恥じたり、美しい人の行ないに大きな感動をうけるのは自分のなかに仏さまと同じ血が流れているからです。不良な子どもをみて、「お前は悪い子だ、もっとよい子になりなさい」というのは他人のいうことです。(迹門の教) 「お前は本当はいい子 なのだ。お前らしいお前になってくれ」というのは生みの親であります。この場合、本当に正しく子供を見、理解していて下さるのが親たる本仏ではないでしょうか。

 本心を失った私共は小さな自分という殻にとじこもって、ものを正しく見ることができず、かえって自分で苦しみ、醜い世の中をつくっております。本心に立帰るとき自分と他人との隔たりがとれ、自分と同じように他人を愛し、尊び、敬う心が自然にわき上がってまいります。そして、あたかも母がその子のために骨身を惜しまず捧げながら、しかも生甲斐と満足を感ずるように、世のため、人のために役立つ働きをしながら、そこに幸福と喜びを感ずるようになります。そして本心を失っていたときは悩みと不満の多かった世の中が感謝 と法悦に満ちた美しい世界であることに気づくのであります。

 それでは私共はどうしたら本心に立帰ることができるのでしょうか。どうしたら本来の自分にもどることができるのでしょうか。宗祖は寿量品の心からその道を次のように示しておられます。

 われわれはまず根本の仏であり、親であり、師である久遠の本仏の深いお慈悲と、偉大なお徳に対し感謝と尊敬を捧げずにはおられません。本仏さまは寿量品のなかで「私は、どうしたら一切の人々を仏の境涯に引入れてやることができるであろうかと寝てもさめても心を砕いている」と告白しておられます。私共はこの本仏を仰ぎ奉り、心の底からお題目をお唱えするのであります。なぜお題目を唱えるかと申しますと、寿量品のなかで本仏は「 私の慈悲とさとりの肝要を煮つめて妙法蓮華経の五字とした。これは人々の心を本心に立帰らせるための一大良薬ともいうべきものである」と仰せになっているからであります。本仏のみ前に合掌して心からお題目をお唱えしますと、心の奥にひそんでいた私共の心と本仏さまの大慈のみ心とが通いあって、不思議に本来の自己にめざめてくるのであります。これが法華宗の教えであり、信仰であります。

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