• ホーム
  • 法華宗(陣門流)とは
  • 法華宗の行事
  • 法華宗寺院
  • お問い合わせ

日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より

ひとり三徳をかねて思ふかき仏は釈迦一仏にかぎりたてまつる

解説:佐古弘文

ひとり三徳をかねて思ふかき仏は釈迦一仏にかぎりたてまつる

 このお手紙は、文永元年(1264)12月13日に記された『南条兵衛七郎殿御書』の一節であり、ここにいう南条氏とは、11月分の上野殿の父親であり、北条家の家人でありました。

 当時南条氏は病いに伏しており、大聖人さまは病いを見舞うと共に、勇猛の信を喚起するため、五綱(五義)を明して正法たる法華経の信仰維持すべきことを示されたのであります。

 五綱とは、教・機・時・国・序の5つであり仏教の中で法華経こそが最も尊く、法華経の中でも一大秘法としての題目の妙法五字、ないし三大秘法こそが尊いことを説明するための教判であります。

 この一節は、第一教綱の説明箇所であり、真実の法と真実の仏とを認知するために示されました。

 その真の法とは釈尊の法であり、釈尊はその法において自らを「今此の三界は皆是れ我が有なり(主)。其の中の衆生は悉くこれ我が子なり(親)。而も今此処は諸の患難多し。唯我一人のみよく救護をなす(師)。」(法華経譬喩品)と示されております。

 釈尊は我等衆生の主であり、師であり、親であります。阿弥陀仏、薬師仏等の諸仏は我等にとって主となりえても、最も近い師と親にはなりえません。ただ一人釈尊(釈迦仏)のみが主師親の三徳を兼ね具えた本仏なのであり、釈尊ほどの慈悲深き親、釈尊ほどの日夜懈怠なき教導にいそしみたもう師、釈尊ほどの唯我等の擁護に専念したもう主はいないのであり、この有り難き本仏釈尊によって我々は常に見守られているのであります。

一覧に戻る

上へ戻る