• ホーム
  • 法華宗(陣門流)とは
  • 法華宗の行事
  • 法華宗寺院
  • お問い合わせ

日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より

衆生の心けがれるれば土もけがれ 心清ければ土も清し

出展:一生成仏鈔(昭定四三頁)
解説:学林助教授・岡崎 長福寺住職 牧野真海

衆生の心けがれるれば土もけがれ 心清ければ土も清し

 建長五年四月二十八日、昇り来る旭日に向かい大聖人が清澄山の麓から「南無妙法蓮華経」の立教を宣言されてから二年後、当時の仏教界を席捲していた浄土教に対し、敢然と「娑婆即寂光」(私たちが生きるこの現世こそが真の浄土である)を示されたご文章です。
 法然・親鸞などによって弘められた浄土思想では、現世を穢土(穢れた世界)とみなし、死後の来世に浄土(清らかな世界)があるとしてさかんに死後の極楽往生を喧伝していました。
 当時の日本は、乱世や天災地変などで国土は荒廃し、民衆の生活は困窮の極みにあり、生きる希望など針の先ほども見出せないような状況でした。ややもすれば死後の世界に望みを託すような人々の苦しい心情に、浄土教は巧みに取り入っていたのです。
 しかし、大聖人は標題の文章に続けて、きっぱりと明言されました。「浄土と云い穢土と云うも土に二つの隔てなし」
 私たちは目の前に立ちはだかる難題や苦悩に真正面から向きあうことを避け、苦しみを他人のせいにしたり、他人からの甘い言葉で自己を正当化して問題の本質から目をそむけようとしがちです。穢れた心では判断を誤り、曇った眼には浄土であるはずのこの現実世界も穢土に映ります。澄んだ眼で苦しみの本質をしっかり見すえること。つまり心の在りようで今の環境は穢土から浄土にかわるのです。これこそが大聖人の説かれる「娑婆即寂光」であります。

一覧に戻る

上へ戻る