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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より

汝すべからく一見の安堵を思わば 先ず四表の静謐を祷るべきものか

出展:立正安国論(昭定二二五頁)
解説:学林助教授・岡崎 長福寺住職 牧野真海

汝すべからく一見の安堵を思わば 先ず四表の静謐を祷るべきものか

 まずは聖訓の直訳(ちょくやく)から。
 「もし汝(なんじ)が自分ひとりの安泰(あんたい)を願うならば、その前(まえ)にすべての世の中の静かで穏(おだ)やかであることを祈らなければならない」
 『立正安国論(りっしょうあんこくろん)(安国論)』は大聖人から当時の幕府の前執権(さきのしっけん)・北条時頼(ほうじょうときより)に宛(あ)てて送られた意見書です。
 文章は漢文体(かんぶんたい)。庵主(あんじゅ)のもとへ旅客(りょかくお)が訪(とず)れ、数度の問答を重ねて「実成(じっじょう)の一善(いちぜん)(法華経)」こそが日本国を救う教えであると結論づける形式をとり、現在も大聖人直筆(じきひつ)の安国論は千葉県中山(なかやま)・法華経寺(ほけきょうじ)に収蔵(しゅうぞう)され、国宝に指定されています。
 大聖人が安国論を時頼に上呈されたのは、文応(ぶんのう)元年(一二六〇)御歳(おんとし)三十九の時でした。安房小湊(あわこみなと)の清澄寺(せいちょうじ)で出家(しゅっけ)されて以来二十年余、全国の主要寺院を尋(たず)ねられては諸宗(しょしゆう)各派の教えを研鑽(けんさん)され、ついに法華経最勝の確信に至られたのです。
 当時の京都・鎌倉は、一見して表大路は繁栄していても、一歩裏小路に足を踏み入れれば、そこは貧困層がひしめき合い、餓死・災害死は日常茶飯事(にちじょうさはんじ)というすさまじい「格差社会」だったのです。
その現実を目(ま)の当たりにされた若き大聖人は、既存の仏教に疑問を感じられ、身命を賭(と)して安国論を上呈されました。
 しかし幕府(ばくふ)はこれを完全に黙殺(もくさつ)し、むしろ過激な主張を繰り返す危険僧と警戒するようになったのです。
 大聖人は安国論上呈後、まもなく松葉谷(まつばがやつ)焼打ち・伊豆流罪と法難に遭(あ)われ、やがて龍口(たつのくち)法難・佐渡流罪と苦難の途(みち)をを歩まれます。まさしく、法華経に説かれる「不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)」を体現されることになられたのです。

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