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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より解説者の役職・所属寺院名などは掲載当時のもの

法華経修行の者の所住の処を浄土と思うべし

出展:守護国家論(昭定一二九頁)
解説:学林教授・岡崎 長福寺住職 牧野真海

法華経修行の者の所住の処を浄土と思うべし

 「守護国家論(しゅごこっかろん)』は正元(しょうげん)元年(一二五九)若き日の大聖人が法華経信仰の正しさを余さず述べられた書物です。翌年鎌倉幕府に送呈(そうてい)する「立正安国論(りっしょうあんこくろん)」の原本とも評されます。
  大聖人がこのこ文章を認(したた)められた当時は、念仏で苦難に満ちた現世を離れて極楽浄土(ごくらくじょうど)に転生(てんしょう)できるという、いわゆる念仏宗(ねんぶつしゅう)が巷間(ちまた)に流布(るふ)していました。
  しかし、大聖人の想(おも)いは違います。死後に希望をよせても、本当に極楽再生の保証はありません。念仏宗はひとえに現世(げんぜ)からの逃避(とうひ)でしかないと批判します。
  聖訓にある、
  「法華経修行の者の所住の処」
とは、まさしく私たちの住んでいる人間世界(娑婆(しゃば))のことです。そして大聖人は娑婆世界を、
  「浄土と思うべし」
と、過去の世界でもなく、未来の先行き不透明な世界でもなく、いまある現在の世界を生きましょう、と述べられるのです。
  ここに、きわめて大聖人の現世(げんぜ)現実主義を垣間(かいま)見ることができます。
  空理空論に走らず、現実放棄も認(みと)めなかった、大聖人の強靱(きょうじん)な精神と魂魂(こんぱく)があったればこそ、七百五十年の星霜(せいそう)を経(へ)ても、今日の私たちがあるのです。
  五月には、伊豆蓮着寺(れんちゃくじ)で伊豆御法難七百五十年記念法要が営まれます。
  大聖人の有(あ)り難(がた)さをともにかみしめようではありませんか。

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