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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より

瞋るは地獄 貪るは餓鬼 癡かは畜生 諂曲は脩羅 喜ぶは天 平かなるは人なり

出展:観心本尊抄(昭定七〇五)
解説:学林助教授・岡崎 長福寺住職 牧野真海

瞋るは地獄 貪るは餓鬼 癡かは畜生 諂曲は脩羅 喜ぶは天 平かなるは人なり

 「人間に仏性(ぶっしょう)はあるのか?」
これは『観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)』における重要なテーマのひとつです。その疑問に答える前に、大聖人は今月の聖訓を述べられました。
  中国の天台大師智顗(てんだいだいしちぎ)の教えにもとづき、大聖人は人間の心の中に「地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人(にん)・天(てん)・声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)・菩薩(ぼさつ)・仏(ぶつ)」の十の世界があると説かれます。そしてそれらは互(たが)いに他の九つの世界を内包(ないほう)している(十界互具(じっかいこぐ))という教えがあるのですが、いきなり人界(にんがい)に仏界(ぶっかい)があるとか、仏界に地獄界(じごくかい)があるといってもすぐに理解できる人はほとんどいません。よって大聖人は初歩から順を重ねて説明する方法をとられました。その第一回目が今月の聖訓です。
  十界のうち、今月の聖訓で言及された世界を「六凡(ろくぼん)」といいます。凡とは私たち凡夫(ぼんぶ)のことで、人間の心には必ずこの六つの世界が存在しています。例せば貪欲(とんよく)に溺(おぼ)れる餓鬼、本能を制御(せいぎょ)できない畜生、我執(がしゅう)に心を曲げ(諂曲(てんごく))争い合う修羅、幸福の絶頂は有頂天(うちょうてん)、というように普段は平穏な人界にいても、時と場合でさまざまに変化するのが私たちの心なのです。
  重大事件の容疑者が逮捕されると、その人物を知る人は決まったように
「まさかあの人がそんな・・」
と絶句するように、日常では温厚でも、心の中には地獄や餓鬼や修羅の因子(いんし)を持っています。それが我々人問の宿業(しゅくこう)なのですが、同時に今月は言及しなかった菩薩界(ぼさつかい)や、仏界(ぶっかい)の因子も持っているのが人間なのだといえるでしょう。
  私たちの心の中に、仏の世界は必ず存在するのです。

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