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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より

名聞名利は今生のかざり 我慢偏執は後生の紲也

出展:持妙法華間答鈔(昭定二七八頁)
解説:学林助教授・岡崎 長福寺住職 牧野真海

名聞名利は今生のかざり 我慢偏執は後生の紲也

 建長五年(一二五三)、日蓮大聖人は、法華経が最高の教えであることを確認し、以来、精力的に鎌倉の市中に出向いては辻に立ち、法華経の弘通に専念しておられました。
  しかし、大聖人の熱心な布教活動は、他宗の僧俗の反発をまねき、弘長元年(一二六一)いわれなき罪を着せられて伊豆に流罪となってしまいました。爼岩に置き去りにされた大聖人は、船守弥三郎の助けで一命をとりとめ、約二年間流刑地の伊豆で捲土重来を期することになるのです。
  この『持妙法華問答鈔」は、大聖人が伊豆流罪を赦され、鎌倉に帰ってこられた頃(弘長三年)の述作とされています。赦免されたとはいえ、いまだ念仏宗や禅宗、真言宗などの勢力が強い鎌倉で『法華経』の尊さ、すばらしさをねばり強く説き、かたくなに法華宗を拒絶する他宗の信者を意識し、改宗させるために述べられたご文章です。
  現代の言葉に訳せば、標題の「名聞名利」とは「地位や名誉」、「我慢偏執」とは「慢心と頑迷」といったところでしょうか。
  現世を儚んで来世を頼む念仏者や、ひたすら加持祈祷にすがる真言僧に対し、地位や名誉は現世のむなしいかざりものにすぎず、今生で慢心し、頑迷に邪教にとらわれていると、来世では手枷・足枷になってしまうと説かれました。
  大聖人はこうした言葉を用いて、来世に救いを求めるのではなく、今現世に生かされている私たちが、穢れた娑婆世界に寂光の浄土を実現すること。これこそがほとけさまの本懐であると教えて下さっているのです。

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