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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より解説者の役職・所属寺院名などは掲載当時のもの

佛と申す事も我等の心の内におわします

解説:学林教授・大久保  本修寺住職 田中 靖隆

佛と申す事も我等の心の内におわします

 仏も私たちの心の中にいらっしゃいます。

 このお言葉は、富士郡おもの石河新兵衛殿の夫人がのぶだいしょうにんのもとへむしもちや果物をご供養したことに対するお礼状の一節です。

 若く体調のよい時の厳しくも勢いのある文章とは少し違い、晩年の体調のすぐれない時期に書かれたためか、お手紙全体から今でも優しさがこんこんといているようなお言葉でつづられています。

 また、このお手紙には「地獄も仏も私たち五尺の身体の内に存在する」とも書かれています。

 私たちが怒り・ねたみ・ひがみ・恨みなど、悪い感情がく時は、その人の「心の中の地獄」が作用している状態だそうです。

 このような時、悪い感情を持っている自分に嫌気を感じつつも、感情の湧き上がりを抑えられず、ふり回され苦しみます。

 私たち普通の人間が、この心の地獄をなくすことは、とても難しいと思います。せめて、その存在を自覚し、上手にコントロールすることができたらと考えます。まずは、そのような感情を他者に、積極的はもちろん消極的にも、向けない努力をすることでしょうか。

 一方私たちの中に存在する仏は、どんどん他の方に向けられたらと思います。

 お手紙の夫人の「寒い身延で体調の悪い大聖人にお餅と果物を」という仏の心に、大聖人も心身ともに癒いやされたことと思います。また、夫人は大聖人の優しさあふれる文章に、何とも心が満たされた気持になったことかと思います。

 考えてみますと、私などは仏心をもって接していただいた時は、自分も精いっぱいの仏心で応えようと思います。しかし、地獄の心が見え隠れするものを受けると、どうしてもこちらも負けじと悪い心が抑えられずに対応してしまいます。どんな時にも仏心をもって接するように心がけたいものです。自分や他の方と仏の心を、回り巡らせる人生であれば幸せなことと思います。

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