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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より

濁水心無けれども 月を得て自ら清り

出展:四信五品抄(昭定一二九八)
解説:村上東俊 学林助教授・多摩 立正院住職

濁水心無けれども 月を得て自ら清り

 末法において釈尊ご一代の深淵なる教えを研鑚し、それを修得することは容易ではありません。このことは日々の生活でどのように私たちが仏教と向き合い、信仰を深めていくかという問題に拘わるものと考えています。
 この御書は大聖人の教義の理解にすぐれた有力な信者の一人であり、後に出家して僧となった富木常忍が『法華経』の修行に関して疑問を呈し、それに対して大聖人が修行の肝要を示されたものです。
 「濁水心無けれども」-仏教や経文の教えの意味を知らない凡夫の身でも、「月を得て」-『法華経』を信じてお題目を唱えれば、「自ら清り」-おのずと法華経の真理に到達することができるのです。
 大聖人は釈尊ご一代の教えの心髄は『法華経寿量品』を中心とする本門にあるとお説きになります。この寿量品の教えは人々を救済する力もまた非常に勝れているのです。たとえ私たちが仏教の知識に乏しく、教えを理解する能力が低くても、教えを聞いて信心が起これば、教えの力によって真理に導かれていくのです。大聖人は「以信代慧」を説いて「信心をもって智慧に代える」ことが大切であると仰せであり、大聖人の宗教はまず「信心」を根本に据えているのです。そして、その信仰の入り口は限られた人々のためではなく、万人がその真理に導かれるよう誰でもが入れるものなのです。初心の修行者が仏教の教えを知らなくても、法華経への信仰を起してお題目を唱えれば、必ず本仏釈尊の功徳を授かることができるのです。

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