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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より

信なくして此の経を行ぜんは 手なくして宝山に入り 足なくして千里の道を企つるが如し

出展:法蓮鈔
解説:法華宗々学林教授 鈴木陽伝

 法華経(譬喩品)によりますと、釈尊の十大弟子の中、智慧第一と称された舎利弗尊者でさえ自分の智慧や才覚で証られたのではなく信心の力でほとけになることが出来たと説かれています。
 このことは法門が理解できても、お経が上手に読めても、心から信ずる気持がなければ決して成仏出来ないと教えているのです。
 大聖人さまはこの御書に「無信心な者が成仏しないと云うのは丁度、手の無い人が宝の山に入り宝物を捜すのと同じである。又足の無い人が千里の道を歩く計画をするのと同じである」と申しておられます。
 近頃は仏教書の刊行が旺になり、仏教の教理を理解する人が増えたと云われています。しかしそれは信仰者が増えたのではありません。
 むしろ法門を知り乍ら信仰心の欠けた人が多くなったような気がするからです。これでは大聖人さまのお叱りをうけることになります。
 ところが難かしい法門は分らなくともその人の行いに立派に信仰を生かしている方も多くあります。これを仏法が分った人と申しています。ですから仏教の教理を知ることと仏法が分ることは違うのです。
 私共が拙い話をしても静かに耳を傾け、時には聞いている方の体験により私の云った話より更に受取り方が深い場合があります。こう云う時は頭が下ります。
 このように私共は、信に始まり、信を持続し、信に終る以外にはありません。この信を持続するためにお題目を唱えるのです。

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