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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より

日蓮なくば誰をか法華経の侍者として佛語をたすけん

出展:開目抄(昭定五六〇)
解説:村上東俊 学林助教授・多摩 立正院住職

日蓮なくば誰をか法華経の侍者として佛語をたすけん

 大聖人は佐渡配流となった後、再び鎌倉の地に戻ることはできないと覚悟されました。そして、弟子や有縁の信者のために大聖人の御書の中でも根本聖典の一つである『開目抄』を塚原三昧堂において執筆されたのです。この御書は「一期の大事」と仰せのように、危機的状況の中で大聖人が末法における法華経の行者であるか否かを決するために著したのです。
 「経文に我身普合せり」と仰せのように、法華経の一字一句を実践を通して体験される色読によって、数多くの法難に遭われたのです。これは法華経を弘めた天台大師や伝教大師も到達し得なかった境地でありました。そして身命を捨てて法華経を弘め布教したのは「ただ日蓮一人」であることを究明されたのです。
 法華経の勧持品には、釈尊滅後に法華宗を弘める者には必ず三類の強敵が現れると予言されています。この強敵とは、無智でありながら誤った信仰を正しいと思い込み、正しい法を弘める人を妨害する者。また、出家者でありながら自惚れが強く仏法を悟った気になって民衆を煽動する者。同じく出家者で世俗のことに執着し、人々からは仏さまのように尊敬されるが、名声や欲望のために誤った法を説いて人々を惑わす者。この三つの敵と必ず対決しなければならないと仰せなのです。この一節で大聖人は法華経の行者としてさまざまな法難に遭われるも、末法において正しい法華経の教えを弘め護ることができるのは、大聖人ただ一人であると示されたのです。

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