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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より

日蓮法華経のゆへに度々ながされずば数々の二字いかんがせん

解説:学林教授・大久保  本修寺住職 田中 靖隆

日蓮法華経のゆへに度々ながされずば数々の二字いかんがせん

 私が法華経を広めるため、たびたび所を追われ流る 罪ざいとならなければ、しばしばの二字はどのように理解したらよいのか!!

 法華経こそが仏教の頂点の教えであると確証された大聖人は、法華宗を開宗されました。ご法難の日々の始まりです。今月は二度目の流罪の地となった、冬の佐渡で書かれた『開目抄』の一文です。

 なぜ自分が何度もこのような目にうのか。法華経の行者への助けを誓った菩薩たちがなぜ自分を助けに来ないのか。もしかしたら自分はにせものであるのか。他宗の批判をしてきたからか。寒い佐渡で何度も自問し、お経を深く深く読み解いて答えをさくします。文中には何度も同じ問いがくり返され、答えを得るまでの苦しみがあふれ出ています。

 そして、はくがいうことこそが法華経ぎょうじゃあかしであること、今の世に苦しむのは過去世の罪に由来し、菩薩が助けに来ないのは過去の罪を自分がつぐなっている最中であるから、との答えを得ます。

 家庭や社会でも自分のすることに皆の賛成や協力があり、よい結果が出ることばかりではありません。判断に迷う時には、シンプルにその行動が人のため()か、自己のため()か考えます。利他の行動なら実行しますと、くいくことが多い気がします。自利とわかっても気がつかないふりをして、一時の利益を得ても、仏さまから利息をつけてキッチリ回収されてしまい、苦笑いしてしまうこともあります。

 何よりも大聖人が、流罪の地で何故か、何故かと苦しまれた日々を思い、切り開いてくださった道を今私たちが歩ませていただいていることは、何ともありがたいことだと思います。

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