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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より

仏道こそ父母の後世を扶れば聖賢の名はあるべけれ

解説:吉川恭司

仏道こそ父母の後世を扶れば聖賢の名はあるべけれ

 御遺文中の最長編、「開目鈔」を拝読して、ほぼ三分の二ほど読み進んだあたりにこのお言葉が出てまいります。

 「仏道こそ」の「こそ」は「いくつかの事物の中から特に一つを選ぶ」ときのことばです。それでは他に比較されたものは何かというとこの御書の冒頭部で、早くも暗示されているように、中国の儒教と外道(仏教以外のインドの宗教・哲学)の二つで、特に儒教が優劣比較の対象となっております。

 日蓮大聖人は現実社会における儒教の倫理、殊に「他者への思いやり」「父母への孝養」の道を仏教の教えと共通するものとして高く評価しておられます。「聖賢之学」といえば儒家の学問を指しますが御遺文中にも儒教の祖たる孔子を「聖人」「賢人」と称えておられます。では儒教は仏教と肩を並べ得るのかというと、そうではありません。儒教の孝養はこの世に限られ、父母の後生を扶けません。だから現世のみならず、父母の後生を扶け、成仏を実現する仏教にこそ聖人・賢人の名がふさわしいということになります。

 たとえていえば、儒教はある区間、国際列車と並行して走るが、国境線の手前が終着駅となり、その先へは進めない現世専用電車。仏教は高浜虚子の名句「去年今年貫く棒の如きもの」ではありませんが、現当二世(現世と当来世)を貫いて人々を霊山浄土へと導く国際特急の「法華号」でしょうか。

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