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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より

目蓮が色心佛になりしかば父母の身も又佛になりぬ

解説:学林教授・大久保  本修寺住職 田中 靖隆

日蓮の色心佛になりしかば父母の身も又佛になりぬ

 目連そんじゃが法華経のどくで身も心も仏となった時、父母も一緒に仏となり、救われました。

 お盆月(旧暦七月)のお言葉は、『盂蘭盆御書』からの一文です。この御書は、大聖人のお弟子、ぼう日位しょうにんの祖母が、お盆供養のお米や瓜やナスを送られたことへのお礼状です。

 お盆の起源となった目連尊者のお話はとても有名です。目連尊者のお母さんは目連尊者にはとても優しい母親でしたが、他の人にはとても「物惜しみ」をする人でしたので、その罪で餓鬼道に堕お ちてしまいました。目連尊者はじんずうりきで母親に食べ物を食べさせようとしますが、食べ物が火になり、母親は食べることができません。困った目連尊者はお釈迦さまに相談し、七月十五日に各地の聖僧を集めてひゃくの飲食物を供養するように言われて実行し、母親は餓鬼道から救われた、という話です。

 この「物惜しみ」のことを大聖人の手紙の原文ではけんどんという言葉で表現され、意味は「物惜しみ」の他に欲深いこと思いやりのないこと、となっています。私にもそういう所があるのでよくわかりますが、物惜しみする人はお金や物だけ惜しむのではなく、自分が出せるもの、例えば労力・時間・知恵などそして思いやりや愛情など全てのものを出し惜しみする傾向にあるように思います。意識してでもなく、どうしてか、その時だけ、そんな風に心が動いてしまいます。

 とっても不思議なことですが、世の中は自分が欲しい物をまず出すとそれが、お友達を連れて自分の所に帰ってくることがある気がします。お金の欲しい人はお金を出してみる、労力の欲しい人はまず誰かを手伝ってみる、優しさが欲しい人は誰かに優しくしてみる・・・。

 そんなことを考えながら七月の東京と八月の地元・富山のお盆のおたなぎょうにみなさまのお宅へ伺い、その時にしかお会いできない方もいらっしゃるので、一年の無事を確かめあうのを心待ちにしております。

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