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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より

衆生の心は皆 善につけ悪につけて迷いを本とする

出展:顕謗法鈔(昭定二六〇頁)
解説:学林助教授・岡崎 長福寺住職 牧野真海

衆生の心は皆 善につけ悪につけて迷いを本とする

 最近、理不尽な動機による凶悪事件が多く発生しています。通り魔殺人・バラバラ殺人・幼児虐待致死など例を挙げればきりがありません。
 そのような非道の犯罪を犯した人物が判明すると、その容疑者の普段の日常や過去を知っている人の感想が、ニュースや新聞で紹介されます。ほぼ決まって述べられるコメントは、「こんな大それたことができるような人とは思わなかった」「普段はまじめでおとなしい印象だったのに、信じられない」といった驚きにみちたものがほとんどです。日常と非日常のギャップ。「まさか自分の近くの人が…」という恐怖と不安。すなわち、凶悪な犯罪を犯す人は、普段から悪人として認知されていたわけではなく、日常は我々と同じような普通の社会生活を営んでいると思われていたのです。つまり悪人としてこの世に生を受けた人はいないし、善人の宿命を背負って生まれた人間もいません。ではなぜ、現実の社会で、さまざまな人生の数奇(すうき)があるのでしょうか。善人か悪人とかいう単純な区別では説明しきれません。
 仏さまではない私たちは、ふとしたきっかけで悪をなすこともある。また些細(ささい)なことで他人から喜ばれる行為をすることもある。迷いを超越した仏に成りきっていない以上、善人にもなるし悪人にもなる、と大聖人は説かれます。
 迷い、悩み、苦しんで私たちはこの現世(苦界)を生かされています。だからといって生(いのち)を投げ出してはいけません。
 迷いという苦は、生涯の枷(かせ)として私たちに与えられているのではないでしょうか。

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