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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より

法華経は種の如く仏はうえての如く衆生は田の如くなり

出展:曽谷殿御返事(昭定一二五五頁)
解説:学林助教授・岡崎 長福寺住職 牧野真海

法華経は種の如く仏はうえての如く衆生は田の如くなり

 聖訓カレンダー解説を担当すると、必然的に大聖人のご遺文(いぶん)を拝読することになります。さまざまなご文章を読んでいるうちに、大聖人は類(たぐ)い稀(まれ)なるレトリック(修辞(しゅうじ))とメタファー(比喩(ひゆ))の使い手、すなわち文章の達人であったことを感じざるにはいられません。
  今月の聖訓は建治(けんじ)二年(一二七六)八月、曾谷二郎入道(そやじろうにゅうどう)に宛て認(したた)められたお手紙の結びの一節です。私たちは「法華経」「仏」「衆生」などの言葉を見たり聞いたりして、なんとなくわかったようで実はよくわかっていないのがほんとうのところです。
  「法華経と、仏と、衆生の関係は?」
  と尋(たず)ねられて簡潔(かんけつ)に即答できる人はなかなかいないのではないでしょうか。恥ずかしながら筆者も三者の関連を聞かれたら、はなはだあやしいものです。
  しかし大聖人は、法華経を種とするならば、種の植え手が仏であり、植える場所・田んぼが私たち衆生である、と見事に簡潔かつ的確(てきかく)な比喩をもって三者の関係を説き明かされました。
  どんなに立派な田んぼでも、作物の種がなければただの無為(むい)なる大地にすぎません。種をまき、苗(なえ)を育て、豊かな稲穂(いなほ)のみのりをもたらして下さるのが仏(本仏釈尊)なのです。
  このように大聖人は、一見わかりにくく、とっつきにくいように感じる仏の教えを、身近なたとえをもって私たちに示して下さいました。
  私たちも、大聖人の精神を感じ、法華経信仰に精進(しょうじん)しなければいけませんね。

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