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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より

法華経に入りぬれば 唯一人の身一人の心なり

出展:千日尼御返事(昭定一七六〇頁)
解説:学林助教授・岡崎 長福寺住職 牧野真海

法華経に入りぬれば 唯一人の身一人の心なり

 照りつける陽射しの中、おおきな葛籠を背負い、険しい道程を身延山に向かって歩き続ける一人の若者の姿がありました。
 若者の名は遠藤守(盛)綱。彼の父はかつて大聖人が佐渡に流された折り、暗殺しようと塚原の庵に向かったところ、逆に大聖人の法華経信仰の教化を受け、「阿仏房」の名を授かった遠藤為盛で、母は大聖人の約千日に及ぶ在島中、一日も欠かさず日常の世話をしたところから名付けられた「千日尼」です。弘安三年(一二八○)盛夏のことでした。
 前年の七月一日、阿仏房は九十一歳の天寿を全うしていました。守綱は亡父一周忌追善の墓参を兼ねて、大聖人に銭・のり・わかめ・干飯などの供養の品を届ける道中だったのです。
 守綱の来訪を聞いた大聖人は、すでに御歳五十九。永年の法華経弘通の苦難によって、肉体的な健康は決して芳しいものではありませんでした。しかし、苦難の最たる佐渡の地で、自らを護ってくれた阿仏房夫妻の子息が、遠路をものともせず、身延に参詣したことに感激し、また夫を亡くして悲しみに暮れている千日尼の様子を聞いた大聖人が、守綱の孝養に感謝し、阿仏房の魂は霊山浄土にあることを説いて尼の傷心をいたわり、ねぎらったのが今月のご聖訓の主旨です。
  「花を愛したり月を愛でたり、善人だったり悪人だったり、今生ではさまざまに性格・趣向の違いはあるけれど、法華経の説く霊山浄土に入ったならば、すべての衆生は身も心も唯一無二の仏になるのです」

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