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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より

生死の大海を渡らんことは 妙法蓮華経の船にあらずんば 
かなうべからず

解説:布施義高 学林教授・青山持法寺裡

生死の大海を渡らんことは 妙法蓮華経の船にあらずんば かなうべからず

 人は誰もが「死」と隣り合わせて生きております。生死の問題と真摯に向き合うことなく、真に人生の意義を覚ることはできないと思われます。
 果ても方角も判らない茫洋とした海原のごとき迷いの世界で生死をくり返す私たち。釈尊出世の本懐である妙法蓮華経(法華経)は、そのような私たちを、生死の大海から教主釈尊の在す安穏なる救いの世界に渡す大船であります。法華経との出会いは、経文(薬王菩薩本事品)に「渡りに船を得たるが如し」と譬えられております。
 「生死の大海には爾前経は或は筏、或は小船なり。生死の此岸より生死の彼岸には付くといえども生死の大海を渡り極楽の彼岸にはとつきかたし」-大聖人
 末法に生きる私たち凡夫の成仏得道は、南無妙法蓮華経という、ひたすら一途な信心を貫き通すこと以外にあり得ません。その刹那刹那に、現実の時(末法)・空(娑婆)に即して、「霊山浄土(本仏の浄土)に詣でて三仏(釈迦仏・多宝仏・諸仏)の顔貌を拝見」する、という法悦の境地が現前に広がるのです。
 大聖人は、中国の天台大師が『摩訶止観』で表明された「観心」(一念三千)を法華経の正統の修行と受け止めつつ、主著『観心本尊抄』では、この本門の教え、南無妙法蓮華経への信仰こそが、末法にはじめて顕される真の「観心」-仏道修行であること(事の一念三千)を開陳されているのであります。

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