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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より

実に因果を辨へざる事嬰兒のごとし

解説:藤本典行

実に因果を辨へざる事嬰兒のごとし

 この文の前に、「外典外道の四聖三仙、その名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫・・・・」と、説かれています。外典、外道とは仏教以外の教え、四聖とは、儒教の伊伊、務成、太公望、老子であり、三仙とはバラモン教のカピラ、ウルソーギャ、ロクシャパという三学派の教祖たちのことであります。

 また、三惑とは見思の惑(物事の道理をわきまえぬ、また眼前事物に対する欲望によって道理をわきまえず)塵沙の惑(菩薩の迷いで、発心を起こさず無知に甘んじる)無明の惑(煩悩の根本たる惑)で、四聖三仙の者たちは、聖人といわれるが、実はこの三惑から離れていないというのです。

 つまりは、物事の原因、因縁、結果という因果の法をわきまえておらないのは、赤子のようなものだとおっしゃっております。なぜなら、見思の惑は「空観」、塵沙の惑は「仮観」、無明の惑は「中道観」、という教えによって断じることが可能であります。

 しかもその三観がそなわっているのは法華経であります。法華経の序品の中で「諸漏已盡、無復煩悩」といい、すでに煩悩もなくなった弟子衆に対して、これから法華経を説きはじめます。煩悩もなくなった弟子になぜこれから説教をするのか? それは、この無明の惑をまだ断じていないからです。それを断じるのに、仏は自身の出生の秘密をあかされます。それが、本因本果であり、因果の法であります。

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